教育における放置プレイについて

 

プレイという字って、ひらがなやカタカナで書くと同じになりますけど


英語の場合は、playとprayがあるわけです、playは〜するという意味合いで


prayは主に祈るという意味になります、教育における


放置プレイが許されるのは、自ら進んでなんでもできる子に


限られるかと思います、あとは健康に気をつけてね


とか事故や怪我などに気をつけて、というまさに理想の子どもですよね


かたや勉強が嫌い、やらない、勉強道具一式を放置プレイしている


子たちを放置しようものなら、人によっては危ない方向へと


進んでしまう子たちは確実にいるわけです、なので


勉強が嫌いでやらない子たちには、いろいろと教えなければいけないわけですけど


これって勉強できる子たちでも、なんでもかんでも放置して


わざと何も教えない、見守る、口を出さない指導は、自分は違うのではないかと思います


まず勉強ができるからといって、何でもかんでも自ら学ぶ姿勢が身についている


意識になってるということではないわけですよね


人によっては学校の勉強、とくに数学や物理、人によっては


英語しかやらないみたいに偏ってる場合は全くもって


放置プレイなんてさせるべきではないわけですよ


この場合って一つのことを極めたとしても社会に出れば


人ありきでの一つのことを極めたことが、成果につながるわけですし、それが重要なわけです


人格が、歪んだ人間が一つの武器を身につけたとしても


短期的には、うまくいくかもしれないですけど、長期的には無理がありすぎますよね


ブランド品をいっぱい身につけている人よりも、本人が努力をし


自分自身がブランドになった人の方が当然うまくいくわけです


そういったことを勉強したくない子たちに教えなければいけないと同時に


勉強できる子たちにも教えなければ、これからの時代、本当に生きづらくなってしまいますので


うちの子は、学校の勉強ができるから大丈夫!ではなく


学校の勉強以外のことを教えよう、という形で少しおせっかいぎみに


いろんなことを教育、指導してみることも重要ではないでしょうか、という話でした