一つのことしか経験してないと視野が狭くなってしまいますよ、という話

 

例えば、近所にイオンがあり食料品はイオンでしか買わないとなった場合


イオンの食料品の価格が常識なんですよね、税込80円の


ブルボン、アルフォートが、イオンで売っていました


でも某スーパーではブルボン、アルフォートは税込100円でした


となった場合、たかっ!ぼったくり!となるわけです


そしてその店は、ぼったくるからもう二度と行かない!


そして、いろんな人にあそこの店は値段が高いから 


行かない方がいいよ!と言ってしまったり、それは極端ですけど


思考だとか構造が単純、単調になってしまうのかと思います


いくつか店に足を運んでみて他の食料品を見たうえで


この店はこの食料品は高いけど、ここはこれが安いから


今度はこの店に来て、この食料品を買おう!などということをすれば


視野も行動の範囲も広がり、柔軟な発想や行動ができるようになるのかと思います


これって教育でもそうで例えば、公立の学校の先生って


よく世間知らずって言われるじゃないですか、それは


学校を卒業したら、また学校に戻るという形になるので


どうしても学校のことしか知らない学校のルールが常識になってしまう


ということが挙げられるかと思います、子どもたちに教育するって


社会に出ていろんなことを経験、体験した人が教育、指導するって自分は


必須だと思うわけです、学校ありきでの教育は仕方ないと思いますけど


その先に社会という魔物しか存在していない世界が待ち構えているわけです


その中でどう生きるのかというものが教育というものの


あり方ではないでしょうか、社会に出ていろんな経験をしていない人って


無駄な感情論、根性論を押し付けてきたり、無駄な長話が多かったりする傾向って


正直言って多い気がします、それよりも社会に出て


どう成果を出していくのか、どう成果に繋げるのか


または、つなげていけるのか、という部分がとても大事なわけです


そしてこの部分が、ぶれてしまうと自分のように痛い目にあうわけですよ


だって魔物しかいないわけですからね、平気で人をだまし


自分だけが良い思いをすれば良い!他の奴らなんて


自分の知ったこっちゃない!という人間なんて腐るほどいますし


人をだまして金を奪い取ってやる!という考えの人たちも


とても多いというのが、社会の構造なわけですよ


当然、良い人たちもいっぱいいますけど、良い人を演じているだけの人もたくさんいるわけです


その中で子どもたちが社会の中でたくましく生き抜いていくためには


ありとあらゆることをいろんな観点、角度から教えなければいけないわけです


とくに勉強きらい、やらない、やっている演技はとても上手い子どもたちには


より多くのことを教えなければ、かなりの確率で痛い目にあうわけですよ


それがかすり傷、程度であればいいんですけど、もう一生治らないという傷を負ってしまったら


全くもって笑えないどころか、少し考えただけでも


恐怖でしかないですよね、ですのでそうならないためにも


早めに対策の方をしておく必要が、あるのではないでしょうか、という話でした