勉強が嫌いで、やらない子たちに対して勉強は楽しいよ♪
勉強をやっているうちにやる気が出てくるよ♪というのは
自分からしてみれば、結局何をしたらいいのかわからないので
匙(さじ)を投げました、もうこの子たちには関わりたくありません…
という風に聞こえてしまうんですね、でもそれが悪いと書きたいわけではなく
そうなんですよ、何をしたって言うことなんて聞かないので
そうなってしまいますよね…心中お察しします、しかし
何をしても言うことを聞かないと書きましたけど
それは人によります、ということです、ようは勉強をすることによってどうなるのか?
逆にしないとどうなるのか?というはっきりとした
具体的な部分が見えてないので、理解できずやらないって話なんです
例えば、卓球部の男子中学生が、茶道部の前から好きだった女子に告白したとしても
100%フラれるのがわかっているならば、絶対に告白なんてしないですよね
では、100%フラれる可能性が仮になかったとしたら
ちょっと言ってみようかな…と顔を赤くさせて考えたりするわけです
勉強は楽しいよ♪やる気はやっているうちに出てくるよ♪って具体的じゃないんですよ
具体的じゃないものに人は興味を示さないですし
可能性が低いものは、避けようとしますよね、それに
勉強が苦手な子、嫌いな子に勉強は楽しい♪を入り口に持ってくると
いつか必ずどこかで止まります、それは難しい問題に直面したときか
何十回、何百回と反復しなければいけないっていう段階になったときです
今まで簡単な問題をやってきて楽勝だわ♪と思っていても
この二つのことに直面した瞬間つまらなくなりますし
面倒くさくなりますし、元々勉強が嫌いでやっていなかったのに
勉強は楽しいよ♪でただ吊り上げていただけなので、つまらなくてもやり抜くとか
めんどくさくてもやり切る力がついていないわけですよ
なので勉強が苦手な子の指導方法って苦楽なんですね
苦しいこともあるし大変だけど、それを乗り切れば楽しいことが待っているよ♪
楽もできるよ♪なんですよ、この順番を入れ替えて楽というものを先に持ってくると
結局、順番が変わってしまい、その先は苦しい思いをするという羽目になるわけです
苦楽を共にするという言葉がありますけど、楽苦という言葉はないですよね
あらゆる力を身につけるって、ある程度の苦労をしないで身についたりはしないですし
仮に身についたとしてもたかが知れています、浅い思考で薄っぺらい人間
物事を多角的、多面的に考えることができない人間(昔の自分)
それとは逆に、深く物事を考えることができて深みのある人間
どっちの方が、社会に出てから成果を出せますかね?
何もずっと大変なことをした方が良いと書きたいわけではなく
大変だけど、その中に楽しいことやおもしろいことを
織り交ぜながらやっていきましょう、ということです